個性に光をあてるには

〜Kind of blue を聴きながら、スタジオにて〜

 

 ジャズはモード奏法の確立によって、自由な発想でアドリブ演奏ができるようになったと言われている。

時代はダンスミュージックがジャズからロックへと移行していく。

はっきり言えばジャズは衰退の一途をたどっていた訳だ。

流行りじゃない、ダサい、って事。

それ以前のジャズはコード進行に対して使えるスケールが決められていて、ある程度発展を遂げるとお決まりのパターンの連続になってしまったのだろう。

実際、スタンダードの曲はどれも同じように聞こえると言えなくもない。

多少の差はあるけれど、誰が演奏しても大して変わらない。

それは没個性的な音楽になってしまったと言うことだろう。

プレイヤーはもっと色々できるようになったにも関わらず、それが許されないような状況。

もっと他のことやれるのに、往年のファンからは同じことをやるように求められたり?

こうなると、ヒーローが産まれ辛いのかな、と思う。

モードになって、プレイヤーの個性が如実に現れたんじゃないだろうか?

その事で各プレイヤーの個性が魅力となって新たなるヒーローが生まれ個性に魅了された音楽ファンが新しいジャズを愛した訳だ。

まあ、そのおかげでプレイヤーはおきまりのフレーズを演奏していれば良い、って状況から常に生み出していく姿勢が求められるようになった。

なんだか現代の社会に当てはまらないかい?

 

で思うに、ルールをシンプルにすれば個性は自ずと光が当たるのじゃないかな?と。それはどんなことにも当てはまるように思う。

個性を大事にする時代にあっては、ルールをシンプルにするか、場合によってはいらないルールは排していくことが必要だろう。そして新たなるルールを無駄に作らないことも。

 

そんなわけで今日はジャズの変遷からどうやったら個性が際立つか、個性に光をあてる方法について考えてみました。

 

「日々、音楽」タダヒロでした。