それぞれの想いが個性になる

 音楽って、必ずしも技術を競うものじゃない。

もちろん技術を競うようなコンテストはある。

 

けど、音楽をやる事って他の意味づけもできる。

その意味づけは人それぞれだけれども、技術を評価されるって前提がどこかにある人は、それを外す事が大事な時もある。

別に上手く無くても良いじゃん、って見る側に立ってそう思う事がある。

そもそも他人や自分が評価しなきゃいなきゃいけない訳じゃない、って事。

 

そんな事を気にするよりも、何を伝えたいか、誰に伝えたいか、どんな想いでいるのか、そういった内面に思いっきりフォーカスして見て欲しい。

それでどんな表現になるのか、それを試して欲しい。

 

内面にフォーカスできれば、そして外に出したいと思えばそれは自然と説得力のある表現になるし、伝わる。

それは技術だけの問題じゃないし、はっきり言えば誰も技術を評価しようなんて思ってないかもしれない。

この人、何を伝えたいんだろう、って事の方が大事かもしれない。

 

もし技術が無くてもしっかり伝わるなら、技術なんて邪魔なだけ。

思ったように伝わらなくてどうしたら良いんだろう、って時に必要な技術ってのが分かるんじゃないだろうか?

なんでもかんでも全ての技術をマスターするなんて、人生全部使っても無理だよ、論理的な究極を言えば。

 

内面にフォーカスして、溢れる想いを表現したら、きっと何か伝わる、何か変わるって思う。

自分を信じて欲しい。

言論の自由。

そこに間違いは無くて、意見の相違はあるのが当然だけれども、自分の気持ちを大事にして表現して欲しいな、とそう思います。

その意味づけによって表現が自然と変わるし、それが個性に繋がります。

一人一人、違う想いがある訳だから。

上手く無いけど素敵だね、って言う瞬間があります。

上手くても素敵じゃない、よりよっぽど良いと思います。

それってなんだろうね?

是非、考えて見てください。

 

 今日は、音楽に対する意味づけについて書きました。

その意味づけによって表現が自然と変わるし、それが個性に繋がります。

 

それでは、また。

 

「日々、音楽」タダヒロ