音楽の正体についての考察

音楽の正体とは?

 

まず一つ言えること。

「空気の振動」は音楽の正体では無い。

人間は、音が伝わる際、空気が振動しているという状態を現象として知覚しているのであって、「空気の振動」という実体があるわけでは無い。そこにあるのは空気という物である。正体の体とは何かと考えれば分かりやすいだろう。

 

また空気の振動している状態とは音が伝わっている時の空気の状態であることは先に述べたが、それはあくまで音であって「音=音楽」とはならない。

全ての音が音楽では無い、ということに異論は無いだろうと思う。

こんな話を聞いたことが無いだろうか?

これは実際にうちの近所に住むドラマーから聞いた話である。

彼は自分の部屋でドラムを叩いていた。

そのうちに彼の家に警察がやってきた。

なんでも近隣から苦情が出たのだそうだ。

苦情の主が誰かは彼には分からなかったそうだが、苦情の主からしたら、彼の叩くドラムの音は単なる騒音だったというわけだ。

もちろんその時も、環境を見るからに空気が振動していたことは想像に難くない。

もし「空気の振動」が音楽の正体ならば、その「空気の振動」が聞くものによって音楽にもなり騒音にもなることは有り得ない。本当の姿というものが聞く物にによって変わる時、変わるのは印象である。その印象が同じ音を音楽とし、また騒音としたのだ。

音楽とは音を聞く側、音を聞くという行為の主体があって初めて音楽となるのだ。

「空気の振動」は音が数多ある音の伝わる瞬間の一つに過ぎない。

では「空気の振動」という音が伝わっている瞬間の中にその主体はあるだろうか?

 

さらに言えば、「空気の振動」以外の音の伝わり方として例えば骨が振動して音が伝わる骨伝導なるものがある。

自分の声を録音して聞き直し、その音に違和感を覚えたという経験をした人もいるだろう。

その音の変化は録音の機械の影響ももちろんあるが、その他の一つの要因としては、人間は骨を伝わって音を聞いているからと言われている。

整体で発せられた声が自らの肉体を媒体として音として伝わるのだ。

骨伝導とは、骨が振動して音が伝わることを言うのであって空気の振動では無い。

音が伝わる際、振動して媒体となるのは空気だけでは無いのである。

仮に音に正体があるとすれば、「空気の振動」の中にも、「骨の振動」の中にもその正体が見出されるはずである。

 

以上のことからも分かるように「空気の振動」とは現象であり、音の正体でも無ければ、音楽でも無いのだ。

 

では音の正体とはなんだろう?

空気を振動させ骨を振動させている実体があるのであればそれが音の正体である。

 

ここで音の伝わる別の例を挙げよう。

エレキギターはギターの弦の振動が一度、電気信号に変換されて、その電気信号がアンプで増幅されてスピーカーに伝わり空気を揺らす。

音の正体が空気の振動ならば、電気信号に変換された音というものは空気から音を伝える媒体が変わった際にその正体を失い、そしてまた空気が振動を始めた時に現れなければならない。

その正体は電気信号として回路を通っている際、どこにあって、どこから戻ってくるのだろう?

そして正体を失った電気信号は、いかにして手元で鳴らしたギターの音を弾き手のニュアンスも含めてスピーカーに届けるのであろう?

 

脳内を見るとどうだろう?

私は実験に立ち会ったことはないが、神経が情報を伝達する際には電気信号が神経を走るという現象が確認されるそうである。

このことが正しければ、脳が音を音として知覚する際、空気から他のものに媒体が移っているわけである。先にエレキギターの例にも触れたが、ここでも私たち人間は、電気信号を現象として捉えているに過ぎない。実際に計測されるときは電気信号を計測する装置で電気信号があることを確認できるにトドまる。その信号の正体そのものを電気的に計測しているに過ぎない。電気以外の何かも同時にそこにあるのかないのかを我々はその計測装置で知る事は永遠にないのである。

そう、我々は音を、音として聞かれるものとした場合、音であるという以上に音がなんたるかを、いかなる装置をもってしても知ることがないのだ。

「音楽とは現象を知覚した主体が音楽と感じた時に音楽である。」

のであって、音の伝わるある瞬間を切り取ってそこに正体を見出そうとしても、決してその正体を知ることは無いだろう。

 

最後に私の経験から音楽について書きたいと思う。

私は幾度も夢の中で歌を聴いた。

私が起きた時にその歌の主はもちろんいなかった。

それはおそらくは脳内で起こったことなのだろう。

それが音楽かどうか、他人の意見を聞くつもりは無い。

この例で言えば音楽には自分の外側で起こる現象すら要らぬのだ。

神経に電気信号として知覚される何かが通ってはいるかもしれない。

しかし空気を媒介にする必要の無い音がそこにあるのだ。

作曲家は想像の中で音を紡ぐ。

それは音楽では無いのだろうか?

昔、友人が言っていた。

「頭で想像する音楽を鳴らしてくれる楽器があればいいのに」と。

いつかマトリックスのように、脳にプラグを差し込んで、(ああ、電気的な情報をプラグで送信するのは効率を考えてか?ブルートゥーかWIFIで良いだろうに)電気信号を音楽として楽しむ、そんな日が来るかもしれない。

実際に、我々はCDの時代からすでに、七色に光る円盤を音楽の媒体として楽しんでいた。

それが嘘も本当も、現実として音楽として聞き、感動し、憧れて夢を見ていたのだ。

それが音楽じゃないなんて言う人を私は、まるで文明を否定する原始人のように感じる。

揺れる植物を見て風を知り、その風に音を聞くとき、その音楽はそれこそ想像の産物じゃないか。

そしてその想像する主体こそ、たとえ、音の正体がなんであれ。、音楽を音楽としているものじゃないか。

 

 

箸者:タダヒロ